国際NGO・ボランティア活動での出会い

 カンボジアに英語を教えに行ったことがあります。民家に泊めていただいきました。ところが、家の方は忙しくてかまってくれません。おじいさんや子どもたちが「これはクメール語でこうだ」としきりに教えてくれました。
 ある団体は農村に公衆衛生の指導に入ったのだが、何をしにきたという顔をされたといいます。逆に食事の用意もできなくて困っていると助けられることになったとのことです。国際協力の現場では、自分たちはなぜそれをするのかをたえず問い直すことになります。「お前は何をしにきたのか」という問いに答られるかということです。その地域の人はもしかしたら海外からの支援など必要ないかもしれないし、迷惑かもしれないのです。
 ボランティアも同じです。さまざまな活動をするなかで多くの人に助けられるという経験をします。自分が何かしてあげるということではなく、共に何かをするということになるのです。
 まず(1)NGOという言葉について、つぎに(2)日本の国際協力NGOが本格的に活動し始めた頃のこと、そして(3)NGOの活動課題、(4)世界と地域をつなぐ、また(5)NGOによる情報の重要性、その際、英語の役割が大きいこと、さらに(6)NGOにかかわりながら学ぶことなど、についてお話します。

(1)NGO という言葉
 NGO(Non-Governmental Organization)という言葉を聞いたことがあるでしょうか。日本の社会は大きく2つのセクター(部門)によって成り立っています。
 1つは市町村や国などの政府・行政機関です。もう1つは会社などの企業です。国民や住民の税金で国や自治体は仕事をします。また、企業は株主からの資本をもとに事業をして、その利益で運営をするわけです。行政や企業とは別に、これまでも医療、教育、福祉にかかわる法人というものがありました。NPO法というのができて、特定非営利公益法人(Non-Profit Organization)というものが認められるようになってきました。NGOは主に国際協力にかかわる非政府組織の市民団体のことを意味します。財団法人や社団法人、NPOとして法人格を取得している場合もありますし、そうではない任意団体もあります。また、国際的には国連や関係機関が認めたるNGOもあります。
 例えば、国際機関のユニセフ(国際児童基金)は国連の一組織ですが、それと連携をしている日本ユニセフ協会はNGOで、財団法人になっています。また病院や献血でなじみのある赤十字もそうです。また、千葉県では「上総堀という」古くから伝わる井戸掘りの有名な技術があって、アジア・アフリカの農村の村々で井戸を掘る手伝いをしている団体もあります。郵便局の国際ボランティア貯金は、利子の一部がNGOの運営資金になる制度です。郵便局に行くと報告書もおいてあります。
 ODA(Official Development Aid)といわれる政府開発援助では、あまり地元の利益にはならないという批判もあります。例えば、大型プロジェクトでつくられた井戸は住民のニーズにあっていないので、使われなくなってしまうようです。ところが、古くからのやり方、例えば、ラオスのある地域の伝統的なやり方では井戸の周りに木を植えています。そのようにすると水はいつまでもきれいに保つことができ、住民も大切にするというのです。
 国や大きな開発事業ではできない地域のニーズにこたえるのがNGOのやり方の特徴です。地域住民の参加を得て計画に組み入れていくことが大切で、住民とともにつくりあげたものでないと意味がないという例です。しかし、それには手間や時間がかかります。 国や企業では政府の意図や利益が優先されるのにたいして、NGOでは住民の声を聞いて、政府などにたいして政策を提言していきます。日本の公共事業の大型プロジェクトに対する市民によるウオッチ、アセスメント(評価)もそのような例でしょう。自由貿易をすすめるWTO(世界貿易機関)のシアトル会議、G8サミット(主要国首脳会議)でもNGO団体が抗議をして話題になりました。世界ではNGOが活躍していますが、日本ではまだまだです。
 毎年10月初旬には日比谷公園で国際協力フェスティバルというのがあります。また、4月下旬にはアースデーという環境問題にとりくむ団体が集まるイベントがあります。活動紹介や食べ物、文化紹介などのコーナーもあり、一日、楽しく過ごすことができます。「国際協力NGOセンター」(JANIC)が制作したこのビデオ(「未来の地球と私たち~NGO活動の役割~」)は中学生がフェスティバルを取材をするという仕立てになっていて貧困、人権、環境にとりくむNGOについての紹介があります。

(2)日本の国際協力NGOが本格的に活動し始めた頃
 日本でNGOが動き出したのは1980年代です。ちょうど私が大学を卒業するころで、ベトナム、カンボジアでの戦争によってインドシナ難民問題が起きていたころです。
 YMCAというのはキリスト教関係の団体ですが、YMBA、仏教青年会というのもあります。お寺のネットワークで募金をしてお金は集まったのだけど、さてどうしようということになったわけです。キリスト教の団体はそれまで世界的なチャリティのネットワークがあって、その経験から迅速な対応をしていました。仏教青年会はユニセフ協会に寄付をしたりしていたのですが、自分たちでも実際に現地に行くといくことになったのですね。
 そこで日本の若いお坊さんたちと一緒にタイにあるカンボジアの難民キャンプを訪問しました。近くのお寺にかやをつって滞在しました。夜、キャンプを訪れ、タイの僧侶と法要をしたのです。私は僧侶ではないので、ただついていっただけですが、数千の人々が仮設の寺院に集まって、ランプの灯の下、お経をあげました。緊急救援として医療や食料は行き渡っていたので、この訪問は心の支えとなったようです。カンボジアはタイと同じ仏教国です。同じ仏教徒がはるばる日本から来てくれた。それだけで励ましの意味になったのでしょう。その後、JVCや曹洞宗ボランティア会ができてきます。
 最近は学生さんが海外に出かけるというのもめずらしくはないのでしょうが、先日、大学生のグループにお会いして、自分たちでスタディ・ツアーを企画をし、韓国やプエルトリコに行ってきたお話をうかがいました。また、さまざまな国から招いた若者と合宿をして、交流を深めているという団体もあります。国際的なネットワークを持つ団体との連携があってのことだと思いますが、大学生がキャンパスをこえてそのような活動をしているのは頼もしい限りです。ヨーロッパや北米、オーストラリア、ニュージーランドで農園の手伝いをするかわりに宿泊の提供を受けるという制度があります。それを利用して世界中を歩いた若者もいます。

(3)NGOの活動課題
 NGO は開発、環境、人権などのグローバルな地球的な諸問題に取り組んでいます。これまでそういった問題は国と国や国際組織で解決するように思われてきました。もちろん国連などによるとりくみはあります。国際規約や条約もつくられてきました。しかし、そうした国家間交渉では、そもそも国は国益で、企業は自分の利益で動くのでおのずと限界があるわけです。現在、国と国だけではなく、クモの巣のようにさまざまな要素が国境をこえて結びついている、影響しあっているという考えがあります。一人ひとりが直接海外の人々とつながるっているわけです。
 国境はそもそも人為的なもので、かつて人々は自由に行き来していました。カナダなどの先住民族の考え方では、すべては循環していて、魚も取りすぎない、木も樹皮だけはいで利用ので、はぎとったところは元に戻ります。しかし、先住民族は、北米や南米、オーストラリアではヨーロッパからの侵略者に虐げられ、日本でもアイヌ民族は、伝統的な生活、文化、言語を失いました。
 一方、このような先住民族のグループに自治権を認めていこうという動きもあります。国をこえて日本のグループがカナダの先住民のグループと製紙会社や政府に直接働きかけ、森林伐採が中止された例もあります。 NGOはこれまでの政治や経済活動が不公正な状況、つまり飢餓やさまざまな問題を引き起こしていることから、その解決に向けて活動をしています。世界の4/5の富が1/5の人々に集まっているのです。この格差は縮まるどころかますますひらいていっています。豊かな者はより豊かに、貧しい者はより貧しくなるというわけです。
 バナナやチョコレート、コーヒーを例にあげれば、生産者の手元に残るは1割にもならないものもあります。それではいったい誰が儲けているのでしょうか。これは植民地政策が残した問題でもあるのですが、本来は、自分たちが食べるものを生産するはずなのに、輸出をするための商品作物を作る仕組みになってしまっています。それも相手に左右されてしまいます。ナタデココというのがありました。ココナッツ椰子の実の内側のゼリーのような部分を氷酢酸で加工してつくります。家内工業でブームにあわせてつくったものの、ブームが去ると薬による皮膚病、土壌の汚染が残ったといいます。
 大企業や海外からの取引の影で泣いている人々がいるわけです。それにたいして、直接ものを売り買いすることによって、生産者に利益を還元しようという公正な貿易、フェアトレードという活動があります。価格は高くなるのですが、無農薬であるとか、何々農園のものということで、生産者と消費者がダイレクトにつながるというもので、国内でも生産者が直接契約を結んで作物を届ける提携制度というのができてきています。
 大企業では利益は地元に還元されにくいのに、地元から直接、街の人が取引をするというものです。少量の取引ですとけっして安くはないのですが、食べ物などでは安心なものを高くてもよいから手に入れるたいというのでしょう。フィリピンのネグロスという島が打撃を受けたことがありました。現在、ネグロスで生産された日本に無農薬バナナが生協を通じて入ってきています。これも「ネグロス・キャンペーン」というNGOの活動の成果です。

(4)世界と地域をつなぐ
 日本にどんどんよその国からものが入ってきています。先のバナナの例のように海外から日本まで運んでくるにはコスト(費用)がかかるわけです。コストを環境への負荷として考えると地球にやさしいということは、地域のものを食べるということになるわけです。地域に根ざした生活をすることが大切だという主張です。オーストラリアなどでは、「パーマカルチャー」という実験的な試みも始まっています。雨水や屎尿もリサイクルします。
 国をこえて地球規模化するグローバル・エコノミーは誰のためになるのか考えなければなりません。グローバル・エコノミーは一部の企業などに有利なのであって、さまざまな問題をはらんでいます。グローバリゼーションによって、強いものに弱いものが駆逐されてしまうのです。地元商店街がさびれて大型のショッピングセンターが栄えるのと同じです。
 ただし、世界とつながることを否定するものではありません。そのようなグローバル・エコノミーには批判的ですが、市民が国際的につながっていくグローバル・ネットワーキングによってさまざまな問題を解決していくことができるといわています。つまり、一人ひとりの市民による国際化が大切だということです。
 食の問題同様、医療もそうです。今度、インドから薬草や伝統的な方法で病気を直すヒンドゥー医師を招きます。近年、アジア・アフリカでは、高価な薬を買うよりも地域にある薬草などで病気を直す治療方法が注目されています。これらは古くからあった方法ですが、再評価されているというわけです。日本でも漢方薬が見直されています。ガンジーは菜食主義者で、西洋の薬を飲まず、病気になると泥浴びをして直したとのことです。79歳まで生きたのですが、暗殺されなければ100歳以上生きることができたといわれています。
 日本では保険制度が行き届いているので、病気をしてもなんとかなりますが、例えば、タイなどでは病気をしたらたいへんです。治療のために借金をするのですが、その借金が返済できずに、一家離散、夜逃げをして都市のスラムに住むことになる例も少なくありません。高額の治療費によって誰が儲かるのでしょうか。もちろん人々を救う医学の進歩や普及は大切なことです。ただし、一人の医師のコストで1000人ちかくの公衆衛生ワーカーが養成できるとのことです。また、日本や欧米での高度な医療のかわりに、下痢の子どもに食塩水を飲ませるだけで回復するようなケアの普及をすすめれば、アジア・アフリカの何万人の子どもたちを救うことができるとも考えられるのです。
 薬の消費では、開発途上国の割合が多いという実態があります。薬は先進国から供給されるわけで、そのお金を払うのは途上国の人々です。製薬会社の儲けになるのです。製薬会社は、新薬の開発するのに、熱帯雨林などの、まだ知られていない薬草や微生物を探しています。古くから土地の長老はそれらを知っていて伝えられてきたものもあります。ところが、製薬会社がそれを発見し、特許をとってしまうと、土地の人々は利用できなくなってしまうのです。先のバナナと同じようにグローバルリゼーションによって国と国の結びつきが強まると、豊かな国はますます豊かに、貧しい国はますます貧しくなる。それと同じ構造です。
 こうした状況に私たちも知らずしらず組み込まれているのです。マスメディアや政府からの情報ではこのような問題は伝わってきません。NGOはマスコミではないオルタナティブ(もう一つの別)な情報を発信しています。より公平な社会をめざし弱い者の声を代弁しているのです。

(5)NGOによる情報の重要性
 日本は行政と企業によって成り立っているので、行政や企業に批判的な情報を得にくい実情があります。大手のテレビ、新聞を見ていると流されている情報に偏りがあることがわかります。一方、積極的にNGOはオルタナティブな(もう一つの別な)情報を発信しています。
 スーパーに行くと最近、クジラの肉が店頭にありますが、「イルカ・クジラネットワーク」という団体によると流通している鯨肉は、実はイルカなのだということです。NGOが商標に偽りありとして抗議すると、イルカはクジラ類だということです。イルカの肉が鯨肉として売れるということから違法な捕獲、密漁が行われているのです。日本国内ではあまり報道されていません。これは海外のリソース(発信)による情報です。ついでにいえば、イルカやクジラは海の食物連鎖の頂点にあるのでPCBや水銀が濃縮され、高濃度に汚染されています。カリフォルニアからブリティシュコロンビアにかけてのシャチは、一頭一頭識別されていて、ここ数年、異変があったといいます。90数頭いたのに、70数頭になってしまったそうです。なかでも若いものが死んでしまったのは大変なことだそうです。

(6)NGOにかかわりながら学ぶ
 NGOは政府や企業に敵対しているという印象を持たれたかもしれませんが、現在、NGOと他とのパートナーシップが課題になっています。行政も多様なセクターを認めるようになってきました。NPO法の実現もその例です。生物界では、多様性によって生物が進化をとげ、生き延びてきたように、社会においても多様な個性や考え方を合わせていくことが、よりよい未来をつくっていくことになるはずです。しかし、自分たちとは異なったものを排除したり、偏見から差別したりすることは後を絶ちません。いじめにみられるように、決めつけや偏見は差別を生みます。やがては紛争や戦争、虐殺にもなりかねません。国際的なものの見方を身につけるということは、英語ができるということばかりではなく、固定的なものの見方にとらわれることなく、よりゆたかなものの見方ができ、そして仲間と協力していけるようなコミュニケーション能力を身につけるということでもあります。
 ただし、コミュニケーションのツール(道具)としての英語は、ますます重要になっています。現在、地域のNGOも何らかかの形で海外の団体と交流をすることが多くなっています。その際、外国語でのコミュニケーションが欠かせません。ましや、複数の国にまたがる活動をするとなると英語が必要性になります。
 NGO には誰でも参加できます。NGOは市民の参加によって支えられているといってもいいでしょう。いわゆるボランティアによって支えられているのです。しかし、善意だけでは成り立ちません。組織を運営するにはお金もかかります。英語をはじめ国際交渉力を持った人材が求められていますが、きちんとした待遇ができないでいます。それらのポストを無償ボランティアでまかなえるものではありません。財政基盤を確立するのに寄付をつのるキャンペーンもあります。ひも付きになってしまうという懸念もあるのですが。企業や政府から寄付をもらったりしています。活動を知らせるということで、重視しているのは教育活動です。活動をつうじてさまざまな問題を広く社会に知らせていくというものです。
 NGOが、政治的に利用されたり、売名行為に利用されたりすることもあります。日本のNGOは成長途上ですから、さまざまな問題をかかえています。仕事なら我慢するのでしょうが、そうではないこともあります。ボランティアだからこそ、純粋であって仲間と対立したり、筋を通そうとして分裂したり、たいへんなことも多いのです。その中で、合意を形成するなどのコミュニケーションの大切さも知りました。
 NGOやボランティアでかかわるなかで、さまざまな経験をすることで、より異なったものの見方を身につけることができると思います。みなさんが、将来、何らかのNGOに出会って、一緒に活動できることを楽しみにしています。