アンネ・フランクパネル巡回展および

リーディング・ライティング教材
http://gcpej.jimdo.com/link/annefrank/ 

アンネ・フランク生誕80周年を記念して、34枚からなる英語と日本語の詳細な解説をつけたパネルが制作され、2009年には、オランダ大使館の協力も得て、上智大学をはじめとする巡回展がおこなわれた。以降、任意に、またキリスト教教会関係者の尽力を得て、次の開催地への搬送費用を負担する(すなわち、次期開催地への経費負担のみによって)形でなされてきたが、組織化されるべく準備がなされてきた。そして、このたび、さまざまな国際交流活動にとりくんでいるJEARN(「グローバルプロジェクト推進機構」http://www.jearn.jp/japan/index.html )のプロジェクトとして、位置づけ活動することになった。

 昨年(2012年)アンネフランク・ハウスによって、展示とあわせて、Reading and Writing with Anne Frankというアンネ・フランクのことについて学ぶ英語版の教材冊子(中学生(9才から12才)版と高校生(13才から15才)版)が作成された。そのためのプロジェクトも始動している。
http://www.annefrank.org/en/Education/Teachers-portal/Products-and-courses/Reading-and-writing-with-Anne-Frank/

 その内容について、検討しようと、2013年4月27日に集まりがもたれた。冊子は、パネルを見学して課題にとりくむようつくられているので、工夫が必要と思われる。冊子について、十分、中身まで検討できなかったが、さまざまな意見交換ができた。

 まず、アンネ・フランクパネル巡回展と関連学習への期待について、20年以上も前から情報技術を使い国際交流を続けている、大阪・高槻におられる元JEARN理事長の高木さんと東京文京区の会場とをむすんでお話をうかがった。

 高木さんは、JEARNとしてとりくんでいる主な活動として他に(1) 教育関係者が映像技術を学び、生徒の作品をもちよるアドビ・ユースボイス、(2)日韓高校生が交流し映像作品をつくる、(3)松谷みよ子さんの『まちんと』を学んで、地域の課題を絵本などにする、(4)相互にぬいぐるみなどを交換して交流するテディベア・プロジェクトについて紹介していただいた。アンネフランク・ミート・アンド・ラーンとされるこのプロジェクトも、たんなる巡回展ではなく、たがいに学び、交流する共同学習事業に発展させたいとのことであった。

 まちんと:まちんと

 http://www2.jearn.jp/fs/1194/info.html

 http://us.iearn.org/professional_development/multimedia/imagine/machinto.html

 http://connect.scdsb.on.ca/machintopresentation

 アンネ・フランクについて学ぶということのどこにねらいを置くのか、吟味をすることからはじめなければならないであろう。歴史的事実に関する知識も不十分な生徒の実態がある。遠い過去、外国でのことであって、自分たちのこととつなげて考えることができないのではないか。ユダヤの人びとにたいする迫害の歴史、反セム主義、シオニズムなど難解なことも多い。

   Facing History and Ourselves: http://www.facing.org/

 ホロコーストミュージアムUSA(日本語版)

 http://www.ushmm.org/museum/exhibit/focus/japanese/

 英語教材としてもM.L.キングのことは定番であり、先住民族としてニュージーランドのマオリやオーストラリアのアボリジニのことは、しばしばとりあげられている。しかし、日本における排外主義や、在日やアイヌ、沖縄など周辺化された人びとのことは、あまりとりあげられない。

 いじめや社会にまんえんする暴力、最近のヘイト・スピーチは嫌悪から偏見そして差別、排除、虐殺へとつながりかねない。被曝者やハンセン病、水俣病をとりまく社会問題と、根っこは同じではないか。東京大空襲の保障をもとめる運動があるが、「何を今ごろ」と反発されるという。当事者への共感がなければ、運動はうねりにならないのかもしれない。

 アンネ・フランクについては、人権教育の教材として扱うこともできる。被差別部落の歴史や部落解放運動、差別の解消として、同和教育は展開されてきた。しかし、小中高校での取り組みは、啓発のための映画や当事者の講演を聞いて感想文を書くというのが定番であった。知識を教えるというのでは、本物の学びにならないということから、90年代から参加型による学習がこころみられるようになる。ワークショップやシミュレーションなどの手法も紹介され、教科横断型のカリキュラム構成や総合的な学習の時間の展開もなされた。

 暴力が頻発する地域にあるカリフォルニアの高校での実話をもとに描かれた「フリーダムライターズ」という映画は、アンネの日記を読んだ生徒が、自らの日記を書いて、出版した実践がもとになっている。「戦争は昔の話ではない、今、ここで起きている」との実感から、ガラッと生徒のようすがかわり、現在では、財団がつくられ活動がなされている。
 http://www.freedomwritersfoundation.org/ 

 アンネの日記をとりあげる際、社会的な課題を読み解くということから、「日記」のもつちからにも思いをはせることができたらよい。極限的な状況のなかでつづられた日記のちからははかり知れない。ライティング(書くこと)をつうじて、内面を問うことになる。戦前からの「綴り方」教育や識字教育は、しいたげられた状況におかれた(周縁化された)人びとが文字を獲得するなかで、歴史の主体になるのである。もちろんオーラルヒストリーを主とする文化の意義は認めつつも、書くことによってエンパワメントがなされたといえる。詰め込みの知識は、はく離してしまうといわれた。かつて日本へも招へいし、1995年から毎年夏、5年間にわたるカナダでのセミナーもおこなったD.Selbyは人権・開発・環境・平和のテーマを参加型ですすめるグローバル教育を提唱した。同様に、ホリスティック教育とかディープエコロジーワークも知識を伝達するのみではなく、知識と、こころ、身体をつなぐことが本物の学びになるとしている。演劇的手法をもちいたドラマケーションや獲得型教育研究会の動きもある。

 理不尽な状況を追体験すること、そして、その状況をきりひらく、ちからを得ることがリアルな生活者としての学習になる。アンネの日記を読むこと、そして書くことのワークブックもそのために活用したい。被曝者や戦争を体験した世代の経験を次世代に継承していくことと同様に、アンネの経験からリアルに学ぶことが求められる。

 今回で「批判的思考力」の育成をテーマにした集まりは4回目になる。参加型学習でのワークショップの手法を英語教育に応用する事例を知りたいとの要請からだが、人権教育や開発教育、グローバル教育などの手法を英語教育にとりいれることは、可能だと考えてきた。再度、メッセージのある教材と、そのちからをひきだす手法をさらに追求したい。参加者から以下の教材が紹介された。

  Night by Elie Wiesel

 The Pianist by Szpilman: Film 2002(邦題『戦場のピアニスト』)

 参考:http://www.szpilman.net/

  教材のちからのみに依拠するのではなく、いかに教材を皆のものにするか、発問や扱い方もふくめて検討をすすめたい。

 

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